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2004年01月14日 (水)

CategoryImage海に潜ると言う事

<FNS ドキュメンタリー大賞>「奥能登 女たちの海」(再放送かな?多分)がやっている。ホントはテレビのカテゴリに入れるべきなんだろうけど、前々から思っていて書いてみたかった事なので、こちらのカテゴリでちょっとたまにはまじめに書いてみる。

海に潜る時、いつも感じていた事があった。これは初めて潜った時から変わらない。ボキャブラリーが貧困な為、その感情をどう表現していいか、いつも困っていた。“海に潜ると嘘がつけなくなる”、“自分が思っていた事が拡大されて感じられる”云々......。いや、なんか違うんだよなぁ、言いたい事はこういう事じゃないんだ......と思っていたら、先日アップしたエントリで紹介したリンクのインタビューで高樹沙耶さんがその物ズバリをおっしゃっていた。彼女自身もヨガの先生からの受け売りだ、とおっしゃってるので引用しても罰は当たらないだろう、と勝手に解釈......(クレームが来たら削除します)
あとからいろいろなことがわかってきたんですけど、ヨガの先生に言わせると、潜ることは、すなわち「瞑想(めいそう)と悟り」なんだそうです。海に入っていくためには、究極に謙虚にならなければならないんですね。より深く入れば入るほど、謙虚さがないと死につながってしまう。でも、潜っている時に得られる幸福感は、とてもすばらしいものなんです。
そうそうそれそれ。『謙虚』だ。
自分がいくら肩ひじを張っても抗えないもの、そういったものに包まれている感覚。そしてそれは守る訳でも悪意を持っている訳でもない......。

能登の海女のおばあちゃんも同じ事を言ってました。「どうにもならない事が有るんだよ」と。そして毎日神仏への祈りを忘れないそうです。自然に触れると言う事はそう言う事なんだと思います。触れると言っても海女達にとってはそれは厳しい生活であり、現実の一部なんだと思いますが。とは言え、医者に止められて「もう吸わねぇ、海にも入らねぇ」と言いつつも煙草がやめられず、海にも入ってしまうおばあちゃんに親近感を覚えましたが......(いや、煙草が体に良い、なんて言うつもりは有りませんが、その庶民的な感性に......)

以前、南伊豆の突端の神子元と言うポイントに通っていた時、水中で結構大きな地震に遭った事が有ります。伊豆諸島で群発地震が起きていた頃です。最初は何が起こってるのか判りませんでした。振動と言うよりは体全体の血液まで一緒に震えて、目の前が歪み、波ガラス撮影*で見ているような感じ......。その時まさに実感しました。自分の存在の実にちっぽけな事。そして色々なものから恩恵を受けて生きているんだなぁ、と言う事。僕は宗教心はないけど、神様を信じていいかな、と言う気になりました。いや、マジで(笑)

注釈*=セルアニメのフィルム撮影での手法で、水中の感じを出す為に波状のガラスを
素材の上に置いて動かしながら撮影する事。または透明な板にグリスを落として、
その自然に動く歪みをコマ撮りで撮る事も有る。実際に海に入るとあまりこうは
見えません。水温の違う層が有る場合ぐらい。

Posted by at 04:59


▼1年前はこんなこと書いてました...▼